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今日も他人事

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8.魔王の後継者




204年、王となった董白は亡き祖父の後継者たらんとして活発に軍事行動を開始。

董白を裏切って独立蜂起した雷簿を滅して長安を奪還、更に黄巾族の残党勢力の一掃に成功します。

さらに再建した洛陽を根拠地としつつ、許昌、そして新たに占領した寿春を拠点に兵力の増強を画策。

戦争の長期化に備え、敵対勢力のいない涼州、荊州の生産力の強化にも力を入れます。

その間も、洛陽で建設された水軍を率いる周瑜が黄河を使っての後方撹乱を行い、呂布らの騎馬隊が袁紹、公孫讃の拠点を次々と陥落させていきます。



董白の勢力拡大に抗しえなくなった献帝は、止む無く董白への禅譲を決定。

こうして、漢王朝は滅び去り、新たに涼王朝が建国されることとなりました。

この動きに対し、各地の群雄は反涼連合を結成。

北方最大の勢力を誇る公孫讃を盟主に、江東の支配者である蒋欽、更に南蛮に逃れた劉璋や袁家の残党が結集します。



真っ先に大船団を率いて侵攻を開始した蒋欽に対し、涼軍は水際での迎撃を諦め、廬江に引きつけて陸上での迎撃に専念します。

同時に北方では反涼連合の盟主である公孫讃自身が騎馬隊を率いて南下を開始。



しかし、司馬懿と董白は罠を仕掛けて突出してきた公孫讃を挟撃し、身柄を取り押さえます。

かつて、董卓の下を出奔したカクシも捕えられ、董白は二人を公開処刑し、その首を晒します。

跡継ぎのいなかった公孫讃軍は大きな動揺を受けますが、公孫讃の旧友で人望も厚い劉備が後を継ぐことで鎮静。



劉備はすぐさま董白に和睦の使者を送り、二年間の停戦条約を申し入れます。

当座の敵対勢力を減らせることに気を良くした董白は、戦争の長期化と劉備軍の戦力が増加することへの懸念の声を黙殺し、
この和睦を承認。

その後、208年11月には高順が蒋欽を打倒して江東を制圧。カクの進言により、董白は天下統一へ向けて大号令を下します。

209年、南方を統一した董白は戦力を整えた劉備軍との決戦に向けて全土から兵を集結。

対する劉備軍も激しく抵抗し、河北の要所・ギョウへ殺到した董白軍を寄せ付けません。

董白は大兵力による力押しを諦め、黄河を封鎖し、孤立させた徐州の劉備軍を駆逐していきます。

劉備は封鎖を破るために大軍を黄河に進出させますが、水上での戦闘には慣れておらず、董白軍の周瑜が率いる水軍の精鋭に翻弄され、撃退されます。

その隙に董白自身が主力部隊を率いて徐州の曹操、趙雲らを激闘の末に打ち破ることに成功。

211年、周瑜が病に倒れて病没しますが、涼軍は徐州から劉備軍を一掃し、河北へと侵攻し始めます。

戦略としては董白、馬超、呂布らの主力部隊がギョウを起点に正面から劉備軍を攻める一方で、甘寧率いる水軍の大船団を劉備軍の背後に回し、襄平を落として、劉備軍を挟撃していきます。

212年、捕えられた劉備は処刑され、ここに反涼連合は事実上、終焉を迎えました。

董白は南蛮に逃れて抵抗していた劉璋に降伏の使者を送ります。

この時、涼軍百万に対し、劉璋軍は僅か二万。

もはや降伏以外にありえないという状況の中で、しかし、劉璋はこの降伏を拒絶します。

この劉璋の愚かな選択に激怒した董白は五虎将軍に劉璋の殲滅を指示。

もはや作戦などない徹底的な力押しで劉璋軍を揉み潰し、南蛮を占拠。

助命を願い出た劉璋を惨殺して晒しものとし、劉璋の一族、将官ことごとく誅殺します。

こうして、212年末。二十年の長きに渡る歳月の末、董白は祖父にも為し得なかった天下統一を成し遂げたのでした。

……その後。

野心尽きぬ董白は勢いに乗じて外征を決意。

外征に反対する臣下の言葉を退け、強行に周辺異民族の討伐を目指します。

しかし、長く続いた戦乱で民は疲弊し、国力はすでに限界に達しようとしていました。

当初は破竹の快進撃を続けていた涼軍も長い遠征に次第に消耗。

兵站の確保もままならず、士気も低下した所を諸民族の反撃に晒され、大打撃を被ります。

そして、董卓や馬騰達と死闘を繰り広げてきた匈奴が西涼へと侵攻を開始。

それを皮切りに、北方からの圧力は日々高まり、涼軍は外征を中断し、守勢に回ることとなります。

外征の失敗により、窮地に追いつめられた董白はかつての精彩を失いながらも、気力を振り絞って対策を練り上げます。

彼女は河北と西涼から民を強引に南下させ、各地一帯を対異民族の戦場として切り捨てるというものでした。

自身も江南へと遷都し、物資の消耗を最小限に抑えつつ、江南に涼を存続させることには成功しました。

不死鳥の如く、涼の再建を果たした董白ですが、その後まもなく病を発して病没。

後、隋・唐が興るまでの三百年の間、涼は南朝の雄として君臨し、北方諸王朝と対立し続けていくのでした…。


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